【開業医の父、娘の中学受験に伴走する】受験は子どもの戦いではなく、親子のプロジェクトだった【part1】
「診療では患者さんの人生に向き合っている。では、我が子の人生に向き合う時、私は何ができるのか。」
これは、娘の中学受験という長い道のりを終えた今、私が自分自身に問いかけている言葉です。
日々、開業医として多くの患者さんの診察にあたり、限られた時間のなかでクリニックの経営にも奔走しています。そんな忙しい日常のなかで始まった子どもの中学受験。振り返ってみると、当初の私は大きな勘違いをしていました。

「勉強するのは子ども自身」という思い込み
中学受験がスタートしたばかりの頃、私は「受験は子ども自身が頑張るもの」と完全に信じ切っていました。
親の役割といえば、良い学習塾を見つけ、教育費を負担し、静かに勉強できる環境を整えてやること。あとは本人の努力次第だと考えていたのです。仕事柄、日々自分で判断し、責任を持って行動することが当たり前になっていたため、無意識のうちに小学生の子どもに対しても「自立した大人」と同じような自己管理を求めてしまっていたのでしょう。
しかし、現実はそう甘くありませんでした。子ども任せにしていては、そもそも勉強しないのです。いざ机に向かおうとしても、今度は「何をやっていいのかわからない」と手が止まってしまう。「目標から逆算してスケジュールを立てる」という、大人にとっては当たり前の作業が、小学生には高すぎるハードルでした。

正論と理詰めの「管理者」が招いた悪循環
「このままではダメだ」と気づいた私は、仕事の課題解決と同じようにアプローチしようとしました。医師という職業柄でしょうか、問題があれば原因を特定し、最短で解決するための「処方箋」を出したくなります。
「こう進めればいいのに」と最適なルートを示し、理詰めで説明すれば解決すると思っていました。しかし、娘は理屈で説明されても、自分が心から理解し、納得しなければ行動に移せないタイプでした。親の焦りから正論ばかりをぶつけても、うまく伝わらずに衝突するばかりだったのです。
当然のことながら、小学生が息つく間もなく勉強ばかりできるわけもなく、次第に集中力も途切れていきます。集中できないままダラダラと机に向かうため効率が悪くなり、時間をかけても「できるようになった」という実感や達成感が得られません。
「頑張っているのにできるようにならない」から、「勉強がつまらなくなる」。そして「やりたくなくなる」。
見事にこの悪循環に陥ってしまっていたのです。

「サポーター」として同じ方向を見る
この悪循環を断ち切るために必要だったのは、上から指示を出す「管理者」の顔を捨てることでした。
子どもは患者さんでもなければ、タスクでもありません。親が理詰めでコントロールしようとすればするほど、子どもは本来の輝きや、学ぶ楽しさを失っていきます。必要なのは、横に並んでペースを合わせ、娘が納得して一歩を踏み出せるまで待つ「サポーター」になることでした。転んだ時に立ち上がるのを待ち、できたことを一緒に喜ぶ。頭ではわかっていても、この姿勢を貫くのが親として一番難しい課題だったと感じています。

中学受験という期間は、ただ知識を詰め込むための時間ではありませんでした。
それは「合格」というひとつの目標に向かって、親と子が同じ方向を見つめ、ともに試行錯誤する「家族のプロジェクト」だったのだと、今ならわかります。
親が子どものために何ができるのか。それは決して正解を教えることではなく、正解のない道を一緒に歩き続ける覚悟を持つことだったのです。




